2012年01月30日
池田町あめ市の今昔
今朝の安曇野池田町は、気温マイナス9度ととても寒い朝を迎えました。
早朝より池田町ガイドマスターの研修で、鹿島槍スキー場から黒沢尾根まで
スノーシュートレッキング講座を受けてきましたので、後日
里山ウオーキングガイドのHPにてアップ致します。
週末の4日・5日は、いよいよ古き伝統が残る「池田あめ市」が開催されます!
今週は、あめ市の楽しみ方をいくつか紹介していこうと思います。
まずは、「あめ市」の歴史から↓↓
池田町の飴市のはじめは、明治七・八年頃から始まり、
最初は、「あめ市」ではなく「初市」と呼んでいたみたいですね。
その時期は、2月21日・22日に開催し、
旧暦では、1月10日・11日頃に行ったようです。
近年「池田あめ市」は、2月第一土・日曜日に行われます。
今年は、2月4日(土)5日(日)です!
この市神様行事は、五丁目・四丁目・二丁目・吾妻町・一丁目・東町それぞれの地区で行われ
要所に拝殿を組み立て拝殿の四隅には紅白の幔幕張りまわし、
青竹をたて棚を設けてお神酒を上げ鏡餅を供えて「市神様」を祀ります。
この「市神様」は、飴市神様ではなく最初は初市神様だと云われています。
「市神様」の社殿は郷神楽殿(さとかぐらでん)に似た念の入った流れ造り。
市神様は、子どもが中心となって車で曳いたり担いで町内を練り歩きます。
子ども達は、白布で顔を巻き目だけをだして白干に似た白装束に身を固め、練り歩く。
池田あめ市の由来は詳しくはわかっていないようですが、
飴市は、昔の塩市を起源とする言い伝えがあります。
古い時代から塩道として糸魚川街道、千国街道、などは人々に
膾炙された道筋で、牛の背や歩荷によって塩が運び込まれた伝承。
明治以降、北越塩の移入は北国街道を南下して池田地区へは、
今の更埴 稲荷山から運ばれたと言われています。
池田町への経路は、大町の八日町一 桜井商店から塩が運ばれた。
2月4日5日「池田あめ市」の時に
五丁目・四丁目・二丁目・吾妻町・一丁目・東町の
市神様行事、社殿にも注目してみていただけたらとい思います。
すでに一丁目公衆トイレの広場には、週末の準備がされていました。
明日以降、お菓子屋さん巡り・イベント紹介をしていきます。
最初は、「あめ市」ではなく「初市」と呼んでいたみたいですね。
その時期は、2月21日・22日に開催し、
旧暦では、1月10日・11日頃に行ったようです。
近年「池田あめ市」は、2月第一土・日曜日に行われます。
今年は、2月4日(土)5日(日)です!
この市神様行事は、五丁目・四丁目・二丁目・吾妻町・一丁目・東町それぞれの地区で行われ
要所に拝殿を組み立て拝殿の四隅には紅白の幔幕張りまわし、
青竹をたて棚を設けてお神酒を上げ鏡餅を供えて「市神様」を祀ります。
この「市神様」は、飴市神様ではなく最初は初市神様だと云われています。
「市神様」の社殿は郷神楽殿(さとかぐらでん)に似た念の入った流れ造り。
市神様は、子どもが中心となって車で曳いたり担いで町内を練り歩きます。
子ども達は、白布で顔を巻き目だけをだして白干に似た白装束に身を固め、練り歩く。
池田あめ市の由来は詳しくはわかっていないようですが、
飴市は、昔の塩市を起源とする言い伝えがあります。
古い時代から塩道として糸魚川街道、千国街道、などは人々に
膾炙された道筋で、牛の背や歩荷によって塩が運び込まれた伝承。
明治以降、北越塩の移入は北国街道を南下して池田地区へは、
今の更埴 稲荷山から運ばれたと言われています。
池田町への経路は、大町の八日町一 桜井商店から塩が運ばれた。
2月4日5日「池田あめ市」の時に
五丁目・四丁目・二丁目・吾妻町・一丁目・東町の
市神様行事、社殿にも注目してみていただけたらとい思います。
すでに一丁目公衆トイレの広場には、週末の準備がされていました。
明日以降、お菓子屋さん巡り・イベント紹介をしていきます。
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