2012年09月13日
池田八幡神社例大祭まで後10日!
今日から「池田八幡神社例大祭」の当日まで、8台の
山車と池田八幡神社の概要紹介をしていこうと思います。
去年と同じような紹介にならないように
ちょっとプラスα を加えて行きたいと思います。
現在の池田八幡神社には、八幡神社と共に十二神社が祀られています。
明治41年11月13日神社合併令により、1丁目地籍にありました十二神社を
合祀されました。
池田町の舞台の登場は、江戸中期頃と思われ、
池田十二社舞台の名称が明確にでてくるのは、「昭和6年 十二権現祭礼につき、
氏子85人方にて羽織袴にて警護する」と記載されている。
当時の舞台様式は、簡単な構造と思われます。
過去には、23・24日に十二神社、24・25日に八幡神社と延べ3日間の祭礼でしたが、
後に2日間として、23日には町内8台の舞台を曳き、浦安の舞が奉納されていました。
※寛永6年 菅沼文左衛門ほか26人の有志によって商家の守り
として勧請し、この歳より船の引きまわしが始まる。
※池田町の祭りは、「喧嘩まつり」として有名だったみたいですね。
十二権現氏子連たちは、十郎藤重の指揮の元、「池田の里」を開拓したのは
おれたちの先祖だ!と言い張り、一方、八幡神社氏子たちは、商家の人々の宿場町として
発展させたのは、我々商人の力だと言い、口論から喧嘩となる。
また、一日違いの祭礼のため日程を替えてもらうように両大庄屋に
申し立てするが取り入れてもらえず、その後も小競り合いをしたそうだ。
八幡神社祭礼日について・・・
●両神社創立より神社合併まで、十二神社舞台の祭礼 8月14日
八幡神社船の祭礼 8月15日
●明治42年から昭和39年まで、9月23日前夜祭・24日本祭り
25日 船と相撲・余興
23日~25日 浦安の舞
●昭和40年から9月23日 24日 2日間の祭礼となる。
なぜかというと、池田町勤労協と豊町一部氏子より、
3日間の祭礼を2日間に執り行うように提案され、年番長会議では決まらず、
昭和40年9月3日、全戸による住民投票が行われた。
投票の結果、2日間の祭礼と決定された。
現在では、舞台曳きは八幡神社の出し物と思われますが、元来、十二神社の催し物で、
当初は舞台が2台のみで、上下3町でそれぞれ1台ずつ曳いていました。
後に各町で舞台が揃えられ、明治6年には、横町(よこちょう)・下町・鍋屋小路・
中町・上町の5台が曳行し、奉納された記録が残っていますが、今のような構造ではなく、
もっと簡素な構造であったようです。
以降、社会情勢の厳しい中でも、新調・購入・改修
などが繰り返され、現在のように絢爛豪華な8台となりました。
宵祭りに曳かれる舞台は、2層構成7台と3層構成1台で4輪式と3輪式があり、
人形・装飾など実に見事で、先人から受け継がれた歴史の重みが感じられます。
これほどの大型舞台が宵祭りの境内に8台もの山車が
勢揃いするのは、県内では、池田町だけです。
それぞれ舞台は、後ほど曳行順にご紹介させていただきますが、提灯に火を灯し、
きらびやかな幕などに飾られ、舞台の上では、地元小中学生によりお囃子が奏され、
太鼓や笛の音色が響き、舞台から乗り出した若い衆の掛け声がかかると祭りは最高潮
に達します。
24日には、2隻の舟曳(ふなひき)と浦安の舞、奉納相撲が執り行われています。
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