2013年01月28日
2013 池田あめ市
今週末の2月2日(土)~3日(日)に
伝統ある あめ市 が行われます。
時間は午前10時~午後4時、
スペースゼロ 及び 駐車場(2丁目) にて開催します。
本来、あめ市の始まりは、今から約430年前にさかのぼります。
永禄11年、甲斐の武田と対峙する今川、北条両氏は、はかりあって武田領(甲斐・信濃)への塩の商いを禁止しました。
武田領はすべて山国であったので、甲斐・信濃の人民は大変難渋しました。
越後の上杉謙信はこれを聞き「戦いは兵をもってするものだ」といって自領はもとより他領の商人に対して値段を上げることなく塩を送ることを命じました。
1月11日はその塩が松本に到着した日として、これを記念し始められた塩市が起源といわれています。
それが江戸時代の前半には「あめ市」となり、幕末から明治以降は「初市」と呼ばれ、近年ふたたび「あめ市」に戻り、現在に至っています。
伝統ある あめ市 が行われます。
時間は午前10時~午後4時、
スペースゼロ 及び 駐車場(2丁目) にて開催します。
本来、あめ市の始まりは、今から約430年前にさかのぼります。
永禄11年、甲斐の武田と対峙する今川、北条両氏は、はかりあって武田領(甲斐・信濃)への塩の商いを禁止しました。
武田領はすべて山国であったので、甲斐・信濃の人民は大変難渋しました。
越後の上杉謙信はこれを聞き「戦いは兵をもってするものだ」といって自領はもとより他領の商人に対して値段を上げることなく塩を送ることを命じました。
1月11日はその塩が松本に到着した日として、これを記念し始められた塩市が起源といわれています。
それが江戸時代の前半には「あめ市」となり、幕末から明治以降は「初市」と呼ばれ、近年ふたたび「あめ市」に戻り、現在に至っています。
池田町の飴市のはじめは、明治七・八年頃から始まり、
その時期は、2月21日・22日に開催し、
旧暦では、1月10日・11日頃に行ったようです。
近年「池田あめ市」は、2月第一土・日曜日に行われます。
この市神様行事は、五丁目・四丁目・二丁目・吾妻町・一丁目・東町それぞれの地区で行われ
要所に拝殿を組み立て拝殿の四隅には紅白の幔幕張りまわし、
青竹をたて棚を設けてお神酒を上げ鏡餅を供えて「市神様」を祀ります。
この「市神様」は、飴市神様ではなく最初は初市神様だと云われています。
「市神様」の社殿は郷神楽殿(さとかぐらでん)に似た念の入った流れ造り。
市神様は、子どもが中心となって車で曳いたり担いで町内を練り歩きます。
子ども達は、白布で顔を巻き目だけをだして白干に似た白装束に身を固め、練り歩く。
池田あめ市の由来は詳しくはわかっていないようですが、
古い時代から塩道として糸魚川街道、千国街道、などは人々に
膾炙された道筋で、牛の背や歩荷によって塩が運び込まれた伝承。
明治以降、北越塩の移入は北国街道を南下して
池田地区へは、今の更埴 稲荷山から運ばれたと言われています。
池田町への経路は、大町の八日町一 桜井商店から塩が運ばれたようです。
イベント内容、詳細については、
後日、お伝えしていきます。
その時期は、2月21日・22日に開催し、
旧暦では、1月10日・11日頃に行ったようです。
近年「池田あめ市」は、2月第一土・日曜日に行われます。
この市神様行事は、五丁目・四丁目・二丁目・吾妻町・一丁目・東町それぞれの地区で行われ
要所に拝殿を組み立て拝殿の四隅には紅白の幔幕張りまわし、
青竹をたて棚を設けてお神酒を上げ鏡餅を供えて「市神様」を祀ります。
この「市神様」は、飴市神様ではなく最初は初市神様だと云われています。
「市神様」の社殿は郷神楽殿(さとかぐらでん)に似た念の入った流れ造り。
市神様は、子どもが中心となって車で曳いたり担いで町内を練り歩きます。
子ども達は、白布で顔を巻き目だけをだして白干に似た白装束に身を固め、練り歩く。
池田あめ市の由来は詳しくはわかっていないようですが、
古い時代から塩道として糸魚川街道、千国街道、などは人々に
膾炙された道筋で、牛の背や歩荷によって塩が運び込まれた伝承。
明治以降、北越塩の移入は北国街道を南下して
池田地区へは、今の更埴 稲荷山から運ばれたと言われています。
池田町への経路は、大町の八日町一 桜井商店から塩が運ばれたようです。
イベント内容、詳細については、
後日、お伝えしていきます。
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